三線の名器について

三線の名器は【開鍾】と呼ばれ、琉球(沖縄)の宝とされております。

 

開鍾とは、首里王城の門を開く時に打つ鐘の音の事です。

 

その梵鐘の音のように遠くまで鳴り響く三線を開鍾の名で呼んだ事が始まりであるとされております。

 

その名器【開鍾】におきましても、様々な説がございますので、ここでは断定などではなく様々な説を記載させていただきたいと思います。

 

開鍾を代表する五開鍾も説によりバラバラでございますので、知りえる限りの情報を随時、追加させていただきます。

 

【五開鍾についての各説】

琉球三線の銘器一覧表の画像
琉球三線の銘器一覧表

盛島開鍾(むりしまけーじょー)

元尚家所有 現県立博物館所蔵

大戦時、中城御殿内に掘られた壕の中に王冠や城開鍾などと一緒に隠されたが消失。

 

様々な経緯をたどり最終的には、昭和57年11月10日 尚裕氏から県立博物館に寄贈されている。

 

芯に『朱』で書かれた「盛嶋」の文字は格調高く、本物であるといわれる。

 

(鑑賞会記録)

・芯に達筆の朱書で盛嶋開鍾の銘がある。

・芯の尾のところを黒木の粉を漆でこねて埋められている。

・材料は黒木の上質

・鳩胸横線の傷があり、そこを補修してある。

・芯を磨く為、黒木の粉を漆でこねて仕上げてある。

 

・現在、盛嶋開鍾チーガと呼ばれるチーガの内部構造は、上記の盛嶋開鍾の胴をCTスキャンすることにより確認されている。

 

城開鍾(ぐしくけーじょー)

元尚家所有 戦災により行方不明

湧川開鍾(わくがーけーじょー)

戦災で一部破損 所有者あり

・修理の際、乳袋より上を切り取って補修されてしまった事が悔やまれている。

 

鑑賞会の記録(昭和61年11月17日)

・芯に浦添御殿真壁里之子作、湧川開鍾の銘。

・材質 黒木

・芯は長方形で左に多少曲がっている。

・塗りは戦後、チーガは戦前の物。

・面は戦後補修のため継いである。

西平開鍾(にしんだけーじょー)

個人所有?

戦前は豊見城殿内にあったという説がある。

 

・心に「西平」の銘が刻まれているが、開鍾程の名器に傷をつけることがあるか?疑問視されている面がある。

 

・琉球王朝時代に銘を入れる場合は、普通、【朱】で格調高い文字で入れられるが、この文字は王朝時代の役人が書いたとは思えないという説がある。

 

・木はねじれていて材質が悪く、本当に開鍾であるか疑問視されている面もある。

 

・松山御殿が所有していたという説がある。(御冠船夜話)

 

・戦前、伊是名御殿→ハワイ→現所有者?

 

【昭和61年8月25日の鑑賞会にて】

・型…真壁型

・材…八重山黒木

・木目は波打っている巻き木

・「西平」と銘が彫り込まれている

・猿尾に象牙の足しあり

・昔の物としては大型

【その他の情報】

・心が通常の物とは違い寝ている。つまり、通常の物が縦長の心なのに対して西平開鍾は横長になっている。

これが柔らかい音色の一つの要因となっている。

 

 

アマダンジャ開鍾

戦後行方不明

・「あまだんちゃ」とは、東風平町富盛の豪農の屋号である。

 

・所有者は、戦時中、逃げ回ることをせずに名器アマダンチャを持って自宅の壕を離れなかったという。その後、その壕で所有者の遺体が発見されたが、アマダンチャは消失していたといわれている。

 

・アマダンチャは、一番手を所有者が手放さず、二番手を献上していたが、その事が王に伝わってしまい「二番手は要らない」と献上品は返されたという。

つまり、アマダンチャは献上品ではないので「開鍾」ではないという説である。

 

・現在、アマダンチャだといわれる三線は4~5丁ほどあり、その真偽は定かではない。

富盛開鍾(とぅむーけーじょー)

元尚家所有 現県立芸術大学所蔵

・現在の県立芸術大学所蔵は、当時のジミーベーカリー社長 稲嶺盛保氏の寄贈によるものである。

 

・稲嶺氏はハワイの琉球古典音楽家の仲宗根盛松氏から手に入れたものである。

 

・富森開鍾は、アマダンチャ家から献上された物であるという説がある。

アマダンチャの項にに記載させていただいた二番手の三線が富盛開鍾であり、富盛はアマダンチャ家のある村の名称である。

更に、この二丁は同じ木から作られたという伝承もある。

 

鑑賞会の記録 昭和61年8月25日

・形状 真壁型

・糸蔵の巾が四分八厘で広い

・銘に「富盛開鍾」と名筆の朱書きがある。左側には「上美地」と彫られた銘があり、裏には「夏氏」の家紋がある。

・材質 赤い木(ゆし木かホーガー木)検討を要する。

豊平開鍾(とぅゆでーらけーじょー)

松山御殿所有 戦災で消失

久田開鍾(くだけーじょー)

個人所有?

志多伯開鍾(したはくけーじょー)

個人所有 県立博物館に寄託

・志田伯開鍾は、美形の名器として人気の高い開鍾であり、型の良さは際立っている。(勿論、型は真壁型)

 

・伊江御殿から金城家が譲り受け、県立博物館に寄託されている。

 

・川之上開鍾と夫婦三線である。

三線の銘器 志多伯開鍾の画像
三線の銘器 志多伯開鍾

安室開鍾(あむろけーじょー)

個人所有?

松田開鍾(まちだけーじょー)

不明

城間開鍾(ぐしくまけーじょー)

不明

戦災により消失。

 

アメリカで見つかった盛嶋開鍾・おもろそうしなどと同じ壕に隠されていたことから、国外に持ち出られて現存している可能性があるとされている。

屋冨祖開鍾(やふそけーじょー)

戦災で行方不明

翁長開鍾(をぅながけーじょー)

個人所有

・1939年の首里城での展示会の記録によると、心に「翁長開鍾」の銘記がある。

 

・現所有者が購入された時、夫婦三線として具志川開鍾と一緒にあった。

 

・敗戦直後は、名器として完全無欠であったのはこの翁長開鍾だけであった。

前田開鍾(めーだけーじょー)

不明

屋良部崎開鍾(やらぶざちけーじょー)

個人所有

・屋良部崎の名称は、この黒木が採れた場所(八重山の屋良部崎)から由来している。

 

・屋良部崎は二丁あり、一丁は王家に献上され、もう一丁は民間に流れ大正時代に八重山の白保祝内殿内にあった。しかし、現在は所在不明となっている。

 

・昭和61年8月25日 鑑賞会にて

屋良部崎開鍾と富盛開鍾は、トゥーイの取り方がそっくりであった。

三日月の輪にうじらみー(鶉目)が入っている。

友寄開鍾(とうむしけーじょー)

個人所有?

・坊主御主が酔っぱらって踏んでしまい、猿尾の部分を折ってしまったと言われている。

 

・上記の伝承と同じ傷のある三線が八重山で見つかっている。

 この三線の所有者によると、昭和24年に真栄平三線屋から7千円で購入。その時に並べられていた佐久川与那は2千円であったという。

 

・上記の物とは違う三線で「友寄開鍾」と言われている三線も存在する。

川之上開鍾(かーぬういけーじょー)

個人所有 県立博物館に寄託

具志川開鍾(ぐしかーけーじょー)

個人所有

大宜味開鍾(おおぎみけーじょー)

宇根親雲上(うーにべーちん)

翁長親雲上(をながべーちん)

熱田開鍾(あったけーじょー)

戦災で行方不明

宇久間開鍾(うくまけーじょー)

個人所有

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