三線の歴史の豆知識

知念大工は三線を献上するときに。。。

知念大工が作った三線は王様に献上する時に、自分の特徴である面を削ってから献上したらしい。

真壁型と知念大工型は同時代であるので型に大きな違いはない。

女三線は現代には向かない。

昔、女三線と呼ばれる小型の三線を首里城内に住む女官が真壁に作らせていたそうである。小真壁と呼ばれているが、現在のような強い調弦で長く弾いていると棹がしなってしまい音がおかしくなってしまうと言われている。

三線好きには大人気の「うじらみー」は大和口?

歴史を遡ると、鶉を薩摩から逆輸入して御殿内で飼っていたという話もあり「うじらみー」は大和口らしい。

※三線の黒木の棹に白太が鶉の羽のように斑点状に混じっている物を「うじらみー7」という。

アダマンチャは真壁型ではない?

アダマンチャ開鍾とも言われる三線の名器アダマンチャは、与那城型であるという説がある。

同じ木で作ったとされる冨盛開鍾は、黒木ではなくユシ木か竜眼の木であると言われている。

※開鍾の紹介ページにも記載させていただいておりますが、アダマンチャ屋号であり、一番手がアダマンチャ、二番手が冨盛開鍾だと言われております。

「ゆなー」は呼び捨て?

一般的には「ゆなー」と呼ばれている与那城型は、「与那」ではなく正式には「与那城」である。

製作者の与那城が平民であったため「与那」と呼び捨てにされたそうである。

夫婦三線は二丁取りではない?

夫婦三線の組み合わせは所有者が勝手に決める事ができたそうである。

条件は、同型であること。。。お金持ちの方が好まれたそうである。

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